室谷毅

室谷毅のプロフィール

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簡易プロフィール

  • 小川産婦人科5代目 院長
  • 京都府立医科大学出身
  • 大阪府立急性期総合医療センター、ベルランド総合病院に勤務した後に開業
  • 医者になって7年目で開業(2019年4月)
  • 継承3年目で売上を約3倍に

大学で燃えすぎていた情熱

僕の両親は大阪の摂津市で工場を経営しています。
サッカーの本田圭佑さんとは同級生で。弟と3人で集団登校をしていたりもしました。
僕は小学校から医者を夢にずっと勉強してきました。

進学校から無事大学に入って

室谷

医者になるんだ!

と周りから浮くくらいの熱い情熱を持っていました。

いろいろな大学のサークルや営業セミナーなどにも興味を持ってあちこち顔を出していましたが、最終的にはラグビー部に入り、ちゃんとした先輩にガッツリ育てられました。

先輩

変なことばっかりしてたら知らんぞ!

無節操にあちこち顔を出すのをたしなめられ、入ってきた後輩たちに背中を見せるべく、真面目になっていきました。

早急に何か動かないとと焦る

真面目になってはいたものの、逆に没個性的になっていっていました。

周りが年収1,500万くらいがいいと話をしていたら「自分もそれくらいがいいのかな」と周りに合わせた枠を自分につくって、自分の可能性を捨てそうになっていました。

大学時代、生活だけは医学部とは違う大学の人とやりたいと思い、同志社大学の人と一戸建てを借りて一緒に生活していました。

その中にいた起業家になりたいという人からの紹介で、有名な『金持ち父さん 貧乏父さん』の本に出会って衝撃を受けました。

世界が大きく変わりました。

早急に何かやらないと…

という気持ちになりました。

それが大学5年生の夏でした。

今日中に医者を辞めます!

その本をくれた人たちのグループでよく話をするようになりました。それがいわゆるネットワークビジネスのグループでした。

ビジネスという響きと、権利収入という言葉にものすごく魅力を感じて

「経済的自由を手に入れるぞ!」

と周りから顰蹙(ひんしゅく)を買うくらい熱くなって、ネットワークビジネスのグループにのめり込んでいきました。

その時に出会った大学生から「自分がイロイロ教わっている、ちゃんとした先生を紹介するよ」と知り合ったのが大葉さんでした。

大葉さんからの話を聞いて衝撃を受けました。

日本の経済やビジネスをいろいろ勉強していきました。

すごくのめり込んで、

勢い余って

室谷

今日中にも医者やめます!

と言いにいったこともありました。

先輩

まぁまあ、落ち着いて。実習やりながらにしたら?

と引き止められ、

ビジネスのために大阪を飛び回り昼も夜も関係なく走り回りながら、なんとかギリギリ卒業できるくらいの出席で実習を終えました。

ホームレスになるんじゃないか

とにかく駆け回った1年でしたが、自分がつくってきた人間関係が崩壊する結果になりました。

グループの仲間とはいつも夢を語り合っていた仲でしたが、結局はお金がつながりだったのか、仕事もうまくいかずチームは解散し、自分もその仕事をやめました。

大学6年の夏でした。

当時流行っていた『闇金ウシジマくん』という漫画の影響で、

自分もこのままじゃホームレスになるんじゃないかと不安を感じ、勉強を始めて医者をもう一度目指し直しました。

医者をやるなら開業して豊かになる道を

1年間ビジネスをやってきた中で、価値観が変わっていました。

単に医者になるだけではなく、医者をやるなら仕事に縛り付けられず、自分のやりたいときに仕事をして、

心も経済的にも余裕を持って自分でコントロールしながら人生を豊かにしたい

と考えるようになりました。

「医者をやるなら開業して豊かになる道を」と、スイッチが入りました。

お子さんたちに関わりたい、人が育つ場所を作りたい

と思って、

産婦人科医を志し、大阪や東京の病院やクリニックをいくつも見学していきました。

大学生で時間の自由がある時にセミナーを受けながら、移動の合間に勉強し、医師国家試験になんとか合格しました。1点でも落としていたら不合格でした。

こうして、なんとか研修医を始めていけることになりました。

頼み込んでついに不動産を手に入れる

研修医の頃から開業を目指して、ワーカホリックかというくらいとにかく働きました
研修なども行きながら、

室谷

誰よりも仕事しよう!

と思って頑張っていました。

学生の頃から保険の話が好きで、海外の保険や、海外でしか契約できないものなど、話はよく聞いていたのですが、

特に生命保険には興味があったので、医者になってすぐプルデンシャルのMDRTの営業マンの方から保険に入り、資産形成の第一歩を踏み出しました。

それと共に、研修医の間でどうにか経費を使えないか模索していました。
昔から経営者である親を見ていて経費というものには何かしらのメリットがあるのかなと感じていました。

勤務医の中で経費を使うことはありませんでしたが、不動産への興味が湧いていました。

研修医2年目の冬、某社の上場一発目のいい物件を紹介してもらって、契約しました。

当時は生命保険と結婚資金への貯金に、収入のほとんどをつぎ込んでいてお金がなかったのですが、

奥さんに頼み込んで結婚資金に手をつけて、ついに不動産を手に入れました。

そこからどんどんと増やしていきました。

年収は3,000万以上あっても手元にお金はない

研修医3年目、その年に所持するマンションが7戸になりましたが、自分がやっている資産形成のやり方が正しいのかわからなくなっていました。

もっと規模を増やせるんじゃないか…

と、お金を払ってコンサルも受けて、

コンサルタント

ワンルームをやるより中古の一棟マンションをやった方がいいんじゃないか

とアドバイスされて、そっちの方向へ動き始めていました。

そこで詐欺みたいな方法の変な物件の話をされていた時に
ちょうど大葉さん黒松さんに全力で止めて頂き、首の皮一枚で救ってもらいました

当時は、ちょっとリスクをおかしてでも大きなリターンを得ることに目が眩んでいました。

消費者金融に手を出してまでの金遣いでした。
自分の信用に傷をつけながらもやっていた時代でした。

それでもなかなかハイリスクハイリターンの甘い果実を捨てきれず、ちょっとしたお金を持つようになっても、危ない案件に手を出していました

当時私立の病院にいて、平日が休みで土曜日勤務でした。
産婦人科医のスキルを磨くために空いた日にとにかくバイトをしていました。
週に6〜7日働いていたので、普通の人よりも多くの給料をもらっていました。

どんどん上がっていく給料を税金で4〜4.5割もっていかれていましたが、不動産で圧縮もしながら、

病院でもらう倍くらいをバイトで稼ぐようになっていました。

しかしながら、いろいろな詐欺案件に投資していたのでお金がありませんでした。

入ったお金は資産形成に使って、自分への投資詐欺案件への投資生命保険などの手固い投資その3つへほとんどをつぎ込んでいました


奥さんも呆れるくらい貯金は全然なく、年収は3,000万円以上あったはずでしたが、手元にお金はないという状況でした。

夢を見ては破れ、見ては破れ…
それでも

医者になったら回復するぞ!

と思っていました。

1,000万円が全部海に沈んで返ってこなくなる

しかし、医者の開業というのはすごくリスクが高いことだとわかりました。特にお産をやる開業はリスクを伴うということをひしひしと感じました。

お産をやりたかったので、それならベッド数の規制がある大阪ではなく田舎に行けばいいけれど、

ニーズはあってもその分、医者がいなくて自分がずっとやり続けないといけない。自由がなくなる…。

そんなジレンマに陥るだろうと思って、大阪での開業にこだわっていました。

どうしたら開業できるか、
開業した上で自由を得るには…。

FXや株、インターネットビジネスや仮想通貨など、医者をやりながらでもできることに手を出して勉強していきました。

でも、FXでは目の前で数秒で200万円が消えたり

まとまったお金が手に入ったときに、海外へ車を転売する人に出資して1,000万円が全部海に沈んで返ってこなくなったり…。

いつまでもハイリスクハイリターンの気持ちが抜けずに
詐欺にあっていました。

詐欺の人たちは段階的に何回かはきちんとお金を返してくれるんですが、最後に大きく出したときに消える。それにまんまと騙されていました。

勤務医の間に増えた不動産は全部で23戸

詐欺に遭いながらも、日本と海外との生命保険での堅実な資産形成もずっと並行していました。

勤務医の間に増えた不動産は全部で23戸ほどになっていました。

詐欺案件などでいろいろ失敗しましたが、
週に6〜7日仕事していたら医者としてのスキルがしっかり蓄積されていました。

そんなとき、ドバイで開催された日本人が開催するセミナーがありました。

そこではすごく堅実な話をしていました。

自分が持っている仕事を最大限やって大銭を作って固いものをつくっていく

至極真っ当な話でした。

そこでやっと

室谷

当たり前のことをコツコツやろう

という気持ちにスイッチが入りました。

固いものをやり続けたことを武器に

いろいろと失敗したのですが、固いものを堅実にやり続けようと思い至り、開業することに腹を決めました

覚悟が決まった途端にご縁というものは繋がるもので、
学生時代から開業案件が入るように専門業者への登録だけはしてあったのですが
7年ぶりくらいに連絡してみたら、すぐに大阪市内での継承の話がつながり、今の開業に至ります。

これが継承(開業)までの話です。

固いものはやり続けていてよかったな、と思っています。

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万が一自分に何かあっても、親族には生命保険で資産が残せる

と思ったら、
それを武器に自分の信用力を思い切り使って不動産などにアクティブに動いていけます

最後に

継承で開業に至った後、
赤字法人を継承したが、1年目で赤字を解消し、
2年目で売上が倍になり、3年目で3倍になりました。

何が原動力でやってこれたかというと、楽しんでやってきたことかなと思います。

現在は医療法人を含めて3社経営しています。

良きスタッフに巡り合え、
良き患者様たちに巡り合え、
良き人生のパートナーに巡り合え、

幸せな人生を歩んでいるという自負はあります。

いろいろな方のご縁に恵まれながら、
またその巡り合わせに感謝しながらの日々です。

しかし、順調に進めば進むほど、今の仕事にのめり込んで視野が狭くなっていることにハッと気づく瞬間が増えてきました。

人生が豊かになればなるほど、新たなご縁を紡いでいきたいと思うようになりました。

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最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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